嬉しい知らせは突然

 就学相談や進路相談の季節になった。教師の立場でできることは、本人、保護者の選択肢を増やすこと。その為に力をつけていくこと、質の良い情報を伝えること。

 しかし、選択は保護者がされたとしても、本当にそれでよかったのかは、いつも気になる。

 先日、駅でばったりA君のお母さんにであった。進路についていろいろ悩んだと聞いていた。小学校を卒業する時、一緒に考えたり、いろいろ選択肢を考えたりしたが、お母さんもやはり中学校3年間いろいろ悩まれたようだ。

 でも、A君は無事にK高等学園に進学し、陸上やサッカーに活躍しているそうだ。本人からも「お祭りや文化祭には来てください」と元気そうなメールと写真が送られてきた。

 たくさんの子どもたち、保護者と出会ってきたが、その後のよい知らせを聞くと、本当に安心する。一人でも多くの子どもたちが自分の力を出し切り、自分の道を切り開いていくことを願っている。

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上岡一世先生と大村はま先生

 感動した。自閉症の子どものたちの就労についての講演だったが、特別支援教育のこれからを考えるよい機会だった。

 「特殊教育」から「特別支援教育」になったということの本当の意味について、すっきりと頭に入った。前からもやもやしていたが、やっぱり、これでよかったのだと思った。

 また、自分の実践では、不十分な点も見えてきた。「生きる意欲」「働く意欲」を育てるためには、ただ訓練してスキルを習得させるのではなく、そこに、「喜び」を感じさせるような場を作っていくことが必要だ。「強化を手段ではなく目的に」と、確か望月先生がおっしゃっていたが、本当にその通り。井上先生が、いつも教えてくださっていたのは、このことだったのかと、今頃になって思いを深くした。

 何かが人の役に立ってよかったと思える子どもにしたい。誰かに感謝される体験を多くしたい。そうして、誰かに感謝する子どもにしたい。そう考えると、それは、「障害のあるなしにかかわらず」ということが、本当にそうだと思えるようになる。感謝されたことがある子どもは、感謝するようになる。

 それから、自分の持っている力を出し切ることは、障害があろうがなかろうができる。逆に障害がなくても、力を出し切っていないことはよくある。そんな感動を心に抱いて本屋さんに立ち寄った。大村はま先生の本に出会った。はま先生の最後の詩の題は「優劣のかなたに」

 そのままの文ではないが「生まれてきたからには、自分の力をすべて出し切ることに値打ちがある」という意味の詩だった。子どもが持った力を100%出し切って授業に臨む時、「優劣」をこえたものが見えてくる。「できる」「できない」の世界ではない。

 ちょうど、お二人のお話に共通したものが見えた。本質というものは、やはり共通している。特別でない特別支援教育というものが、だんだんとはっきりしてきた。

 

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よっしゃーー!

毎日忙しい。でも、毎日授業に全力投球している。

子どもたちは、一生懸命がんばっている。こちらのちょっとしたミスで、学習の状態がぐぐっと落ちるのも分かる。そんなときは、反省、反省。

人はなかなか言ってくれなくなったので、自分で反省しなければ・・・。

なーんで、殊勝なことを考えていると、神様は見ているのだなあ。

センター研、希望の講座が当たった!!!!!奥田先生の講座、当たりましたーーーーー!!!!!やったぜーーー!!

教育センターで、どんなお話をされるのか、本当に楽しみ。夏の終わりに楽しい研修。ルンルンルンルン。

明日も超忙しいんだけど、がんばるでーーー。

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特別支援教育学習会・菜の花

 長続きしない私だが、「菜の花」という学習会組織の運営は続いている。もう、6年ぐらいにはなるかな。はじめは、うまくいかないこともあったが、最近は楽しく運営していくことができる。その理由は三つ。

 一つは、メールで連絡をすることにしたこと。何しろ学習会というのは連絡するのが面倒くさい。これがネックだったが、最近はほとんどの方がメールを使われるので助かる。3つの部会それぞれをグルーピングしておけば、連絡は一斉送信で可能。

 二つ目は、それぞれの部会にしっかりしたメンバーがいること。私がぐずぐずしていても、誰かがどこかで声をかけてくれる。または、いろんな仕事を手伝ってくれる。最近では、「○○やってみよっかな」と言えば、「ああ、また始まったよ・・・。」とあきれ顔で手伝ってくれる奇特な方も増えた。

 三つ目は、毎回参加費を取ることにしたこと。会費を取ると、全会員に責任が生じてくるが、来た人から参加費をいただけば、来た方が会員ということになる。続けて連絡してほしい人はメアドを教えてくださるので、連絡は次回からいくことになる。毎回会計するので、あまりを少しずつプールしていけば、年に1から2回は大きな学習会が可能になる。

 と、いうことで、金曜日も特別支援教育の学習会をした。こちらも本年度から月に1回のペースで行うので、広がっていくだろう。今回は福岡教育大学の太田先生にもおいでいただき、ありがたい限りだった。地域の先生方とこれからもつながっていきたい。

 

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春風がふく。町の風ふく。

 異動して苦節?3年。ようやく私の町にも良い風が吹いてきた。

 特別支援教育について、教育も、行政も、福祉も力を合わせて進めていこうとする動きがでてきた。

 小さな町で、何かが動き出すためには、いろんな人の力が必要だ。一人ひとりの温かな気持ち、前向きな気持ちが、町の中でつながっていく様子を見るのは、本当にうれしい。

 特別支援教育が進むということは、人間理解が進むということだ。人権意識が高まるということだ。誰にとっても温かな町ができるということだ。

 先日、町議会議員さんたちの学校視察があった。文教委員長さんは特別支援学級を視察する前に、特別支援教育に関する本を5冊も読んできて、質問して下さった。その誠実さに頭が下がる思いだった。

 一緒においでになった町議会議長さんは児童養護施設のクリスマス会でサンタ役を買って出てくださった方だ。町民のために日ごろから誠実に活動しておられる。

 私の町には、他にもたくさんの心ある方がおられる。そんな方々の一歩一歩の努力が、町を変えていく。

 まだまだ十分ではないが、私が、私の立場でできることをしていこう。目の前にいる子ども一人ひとりを幸せにするために。

 校庭には梅の花・子どもたちの声。春はもうすぐそこに来ている。

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ユニバーサルデザインの授業設計でも・・・

 いくらユニバーサルデザインの授業設計をしても、教師の「授業観」が「知識注入主義」では、本物の学びにならない。

 ある研究発表会の授業を参観していて気付いたことである。「?」と思って、次のクラスに行った。「??」、次のクラスに行った「!!!!」

 教師は子どもに指示して、子どもはその通りに動く。先生の言うとおりにして、見たり、聞いたりしていれば、「よくわかる」ように教材を工夫している。そのために、「聴覚的支援」「視覚的支援」「指示の工夫」などを行う。

 何だか違う。何かが違う。授業がつまらない。子どもが受け身。教師の指示が始まるまで、何も始めない。

「一人一人のニーズに応える授業」というのは、「より分かりやすく、噛み砕いて子どもに伝える」ということなのか?先生が分かりやすく工夫するから、子どもはただ「わからないよー」と待っていればよいのか?

 「学習意欲が高まった」というのは、心の状態なので見えない。学習意欲が高まったというのは、子どもがどのくらい「自発の行動」をしているかにかかっているのでは?

 言われる前に、考えを予測する、ノートに書いてみる、試してみる、言ってみる、やってみる、聞いてみる、確かめてみる。子どもたちが本当に授業にのってきたときは、面白いほど「自発の行動」が増える。

 ある授業で、その瞬間を感じた。

 電卓を使って、割り算の性質を見つけるところだったが、「割る数、割られる数に同じ数をかけても、わっても、答えは同じらしい」と予測がついたとたん、子どもたちは黙って電卓に思い思いの数を打ち込み確かめ始めた。電卓のキーをたたく「カシャカシャ」という音が、教室にザーーッという音に変わり広がった。その後、「ほんとや!」「確かに!」「すごい!」「できたー」「どんな数でもできるんやか?」などの声が上がった。この間、教師の指示はなし。

 子どもが本当にわかって、何かに気付いた時、子どもは何かを始める。そんな自発的な行動がうまれるような授業にしたい。

 もう一度「ユニバーサルデザインの授業とは?」と考えさせられた。

「そもそも」が大事。 本当だ。

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専門性とは?

 特別支援教育士の試験が迫ってきているのか、このブログにも「特別支援教育士 試験」の検索でヒットした方がおいでになっているようだ。仲間が増えることはとても嬉しいし心強い。お金も時間もかかるけれど、どうかがんばってほしい。

 しかし、最近ちょっと気になっていることがある。学んだことを何に使っているのか?という出来事にであった。(ちょっといえないが)中途半端な知識が、子ども理解を妨げていると言う事例だった。(特別支援教育士の方ではありません、念のため)

 自分の経験から言えば資格がとれても、それはあくまでもスタートラインに立ったと言うことで、特別支援教育の世界は幅広く、奥深い。自分の得意分野だけでも何か役立つことができれば上出来というところだろう。地道に子どもの姿に学び、親の心を知り、自分に何ができるか誠実に考え、実行することが、「専門家」の基盤になければならないと思う。

 私もいろいろな資格だけはあるが、実際どれほど人の役に立てているのかは心もとない。だからいつも新しい情報や実践にアンテナを立て、自分を振り返ったりSVを受けたりするのだ。そうでなければ、日々進歩しつづけている研究内容を実践に生かすことはできない。私はあくまでも教師と言う立場から研究を続けている。本当に子どもの役に立つものは何かを探し続け、試し続けている。そのことが資格をもつものの義務と思う。

 専門家だからこそ倫理と法の遵守を心に刻まなければ、子どもも親も守れないと思う。資格があれば専門家であるというのは思い上がりも甚だしいと、自分に言い聞かせている。(実際にどんなことに出会ったかはいえないけれど、保護者の気持ちってこういうことなのかと改めて深く感じたことがあった。十数年ぶりにぶち切れた。とほほ。)

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通常学級における特別支援教育

 2月に入って5年生のピア・サポートの授業を担当している。一クラス40人。最初は久しぶりでちょっと緊張したが、本当に楽しい。なぜか?授業計画がちゃんとしていて、めあてがはっきりしていて、教材もきちんと準備しているからだ。○つけ法と復唱法を使い、子どもたちの考えを把握し、子どもたちの考えを出し合わせながら授業の組み立てをしているからだ。さらに、最初の時間に子どもたちに授業のねらい、組み立て、タイムスケジュールを示しているからだ。

 そうすると、子どもたちは1時間の中で何が準備運動で、何が本番の活動かわかる。教師は指示・説明がぶれない。簡潔になる。注意を引いてから指示するので何度も繰り返すこともほとんどない。子どもの考えを把握する時も、机間指導しながらできる。算数でなくても○つけ法だ。シェアリングでは、当然復唱法を使う。子どもの発言をつないだり、価値づけたり、ゆさぶったりする。算数のように、「できる、わかる」ではないが、子どもたちの気づきの中に本時のねらいに迫った内容がたくさんでてきたとき、「やったー!」と思う。子どもたちの振り返りには、コメントを書く。そうすると、次の振り返りの内容が豊かになる。毎時間子どもたちにも変容がある。最初に授業した時よりも子どもたちからの反応が速く、レベルも高くなっている。また、授業に集中できている。40人と言うことも忘れるくらいだ。

 それは、ピアサポートのようなだれにでもできる課題だからだと思われるかもしれないが、子どもたちの気持ちが本当にほぐれていないと、ロールプレイやエンカウンターゲームはできない。全員が課題に取り組まないと意味がない活動なので、どの子どもにも指示が徹底しなくてはいけない。専科授業の形態だから時間の制約もあり、振り返りを書くまできっちり45分だ。次の時間は使えない。

 要するに、通常学級での特別支援の第一歩は、通常学級での学習がどの子どもにも分かりやすく取り組めるように、事前にしっかり準備して説明、指示を簡潔にするとか、子ども自身に授業の進め方を知らせておくとか、重要なことはかならず立ち止まって確かめるとか、そんな「当たり前」のことをきちんとすることなのではないだろうか。

 個別指導は、そんな「当たり前」の授業が提供されていてもさらに支援があれば伸びるだろう時に使うべきだ。教師が授業改善できないのを棚に上げて、最近すぐに「個別指導すればいい」という傾向がみられ、それが「特別支援教育」なのだと思っている人が多いように感じたので、つい、書いてしまった。

 教師たるもの、日々授業を磨こう!自分を変えよう!・・・これは、いつも自分に言い聞かせていることでもある。

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真城先生をお招きして

 特別支援教育研修会を開催した。地域の特別支援教育部会が主催。講師は千葉大学の真城知己先生。とても短い時間で申し訳なかったが、教育、保育、教育行政、保護者の出席を得て、「インクルージョン」の考え方、「特別な教育的ニーズ」について、「個別の指導計画作成について」を中心にお話していただいた。

 参加者の感想を聞くと、それぞれの立場で「なるほど」「使える」と思えることがあったという。例えば、個別の指導計画を工夫しようとしている通園施設の職員は、「子どもの姿や指導の手立てが見え、引継うぎに役立つ、更新可能な個別の指導計画を」というところで大きくうなずいておられた。また、行政の方は、いろいろと問題を抱える学校の管理職をどのように支援するかについてヒントを得たと言われた。また、養護施設の方は、この個別の指導計画の考え方は、養護施設にも十分活用できると考えられた。

 このように、様々な立場の方々がそれぞれの立場で活用できそうだと感じた根底には、「特別な教育的ニーズ論」があるからだと考える。機能的な障害があっても、障害はなくても、通常に付加する形の支援や、通常とは別の形の支援が必要な場合がある。また、支援も永久に必要な支援もあれば、必要なくなる支援もある。支援される側の変容によって支援のニーズも変化していくという動的な概念なので分かりにくいかもしれないが、それだけに、様々な社会的文脈に適合するものであると考える。

 まだ、私自身が十分に理解したとはいえないが、これからもこの考え方を自分の基盤にして教育実践を重ねていこうと思った。

 真城先生の真面目で、謙虚なお人柄に参加者一同感激。このつぎ、こちらにおいでの際は、歓待いたします!

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今日の学び

 今日は、算数の授業と講演二つ、シンポジウム。どれも、特別支援教育の視点と、「確かな学び」が形成しているかという視点で参加した。

 算数の授業。子どもたちは一生懸命授業に参加していた。日ごろの指導のたまものだろう。自分の考えを、自分なりの表現で伝えようとしていた。しかし、話している子どもに、相手意識が足りなかった。あれだけしっかりと自分の考えを説明できるのだから、もう少しゆっくりとか、もう少し自分の考えを整理してとか、「まず、つぎに、最後に」の三段階で話す、ものを示しながら話すなどの工夫を指導していってはどうだろうか。また、話をすっきりと整理して伝えることが、特別支援が必要な子どもにはとても役立つ。

 それから、一つ疑問なのは、子どもたちが自分の考えを作る場面と時間が少なかったこと。それは、学習課題の難易度が授業途中で一気に上がったということと関連するかも。これは、明日の分科会で明らかになるかもしれない。楽しみ。

 相手意識について。講演にあったところの「自ら学び、自ら考える」だけでなく、「虚心坦懐に人の意見に耳を傾けること」「相手に分かるように伝え方を工夫すること」が、「言葉の力」を鍛えることになるのでは。また、そうやって、共に学び、気づき、自分や友達が変容していくことが「喜び」と感じられれば、「人間発達科」の目的も日常的に達成されるのでは。

 シンポジウムでは、算数科での補充学習の工夫、人間発達科で目指すもの、特別支援学級がない学校での特別支援教育の体制つくり、個別の指導計画のオンライン化、アメリカでのギフティッド・チルドレンの話の5つの話題が提供された。このシンポジウムの意図は、「それぞれの立場からの個に応じた指導」から「一人一人の個のニーズに応じた指導とは」ということを考えるべき時期にやってきたということを明らかにしたかったということだったと思う。「みんなと同じ」が、必ずしもよいことではなく、「ニーズに応じた指導」を考えることで「確かな学力」がつき「生きる力」をすべての子どもたちにつけることができるようになるための課題が明確になってきたと感じた。

 ・・・・・あ、書きすぎた。疲れた。今日はがんばった。自分に花マル!

 

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