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ユニバーサルデザインの授業設計でも・・・

 いくらユニバーサルデザインの授業設計をしても、教師の「授業観」が「知識注入主義」では、本物の学びにならない。

 ある研究発表会の授業を参観していて気付いたことである。「?」と思って、次のクラスに行った。「??」、次のクラスに行った「!!!!」

 教師は子どもに指示して、子どもはその通りに動く。先生の言うとおりにして、見たり、聞いたりしていれば、「よくわかる」ように教材を工夫している。そのために、「聴覚的支援」「視覚的支援」「指示の工夫」などを行う。

 何だか違う。何かが違う。授業がつまらない。子どもが受け身。教師の指示が始まるまで、何も始めない。

「一人一人のニーズに応える授業」というのは、「より分かりやすく、噛み砕いて子どもに伝える」ということなのか?先生が分かりやすく工夫するから、子どもはただ「わからないよー」と待っていればよいのか?

 「学習意欲が高まった」というのは、心の状態なので見えない。学習意欲が高まったというのは、子どもがどのくらい「自発の行動」をしているかにかかっているのでは?

 言われる前に、考えを予測する、ノートに書いてみる、試してみる、言ってみる、やってみる、聞いてみる、確かめてみる。子どもたちが本当に授業にのってきたときは、面白いほど「自発の行動」が増える。

 ある授業で、その瞬間を感じた。

 電卓を使って、割り算の性質を見つけるところだったが、「割る数、割られる数に同じ数をかけても、わっても、答えは同じらしい」と予測がついたとたん、子どもたちは黙って電卓に思い思いの数を打ち込み確かめ始めた。電卓のキーをたたく「カシャカシャ」という音が、教室にザーーッという音に変わり広がった。その後、「ほんとや!」「確かに!」「すごい!」「できたー」「どんな数でもできるんやか?」などの声が上がった。この間、教師の指示はなし。

 子どもが本当にわかって、何かに気付いた時、子どもは何かを始める。そんな自発的な行動がうまれるような授業にしたい。

 もう一度「ユニバーサルデザインの授業とは?」と考えさせられた。

「そもそも」が大事。 本当だ。

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